母親との死別
竹中さんは多感な17歳の時に、母親と死別する。
――母は結核で隔離病棟に入れられていたので、僕が病室に入ろうとすると「感染るから」となかなか病室に入れてくれないんです。病院の廊下から、遠くの母に泣きながら手を振り合ったりしてました。
死をとても身近に感じたり、幸せなんて長くは続かない、なんていろいろな思いが駆け巡りました。母の死も大きな転機です。母の死を受け入れられず毎日泣いていました。母のお墓は直木三十五のお墓のある長昌寺にあります。
父と二人きりの生活になった時、いきなり東京藝術大学を受験したいと思ったんです。父は2浪まで許してくれました。しかし藝大は第1次試験で不合格。そして2浪の末、多摩美術大学のグラフィックデザイン科に入学しました。
父に説教されたことは一切なかったです。エンタープライズ入港反対とか沖縄返還運動には参加させられましたがそれ以外は何も言わず、ただただ僕を見守ってくれていました。
3年前、95歳で亡くなりました。介護も、ぼけも一切なく、子孝行の父でした。父の遺言で骨は海に散骨しました。

