思えば私は、上京した母の送り迎えをする時も、自分の手間を省くために「タクシーに乗ってきて。お金は払うから」とつい言ったりしました。母を心配する気持ちは確かにあったのですが、「これでなんとかして」と思っていたのも事実。その気持ちを見透かされたような気がしたのです。
アメリカの思想家ジョアン・C・トロントの言葉を借りると、「ケア」には、相手を気にかける「ケア・アバウト」と、相手のために自分の体や時間を使う「ケア・フォー」という2つの実践法があります。
相手と触れ合わず、働いて得たお金を使うのは「ケア・アバウト」。一方、「ケア・フォー」は食事の介助をしたり、着替えを手伝ったりと直接的な行為をともないます。
母が求めていたのはただ気にかけることやお金の支援だけではなく、私自身が母のところに行って時間を共有する、直接的なかかわりだった。そう気づいてからは、「ケア・フォー」を意識した行動をとろうと心がけるようになりました。
たとえば、できるかぎり実際に会う。そして顔を合わせて話し、「何かしたいことはない?」と聞く。母がしたいことを一緒にする。最初のうちは、母と話しながらも「この時間があれば原稿を書けたのに」と思ってしまうこともありました。
それでも、急(せ)き立てられるように働くことを中断し、ともに過ごす時間に集中すると、それが私にとっても心地いいひと時なのだと気づいた。手をつなぎ、母の歩くペースを気にしながら、手の温かさを感じながら、時には周りの景色を楽しみながら……。
そうやってゆっくり歩くと、日常の忙しさから解放されて、「今この時」に集中することを、思い出すことができました。大事なのは、介護する側もされる側も、こうした時間を楽しむことではないでしょうか。