実に偉大なセンセーションだった

あまりに早く来た幸福は、私にはむしろ恐ろしいばかりであった。

当時、歌の女王と迄いわれたアデリナ・パティは既に老齢の故をもって引退していたが、当夜は矢張その音楽会に出席するのだという。

ああ私がアデリナ・パティと同じ舞台をふむ。私は道を歩き乍らも涙が流れて来て仕方がなかった。三浦の帰る迄待っていられない私は、直ぐ其足で、当時のイギリス大使、井上勝之介候の夫人の下へいったが、夫人の顔を見ると、一層涙がこみあげて来て、口をきくことも出来ず泣くばかりだった。

この感激がどんなに大きいかということは、当時の日本人の地位とか社会の情勢とかいうことに立ちかえって見なければ解らないと思う。一日本婦人の身として、アルバートホールに立つということは、実に偉大なセンセーションだった。大体日本人が歌など歌えると外国人は想像だにしなかったのである。

当時のことを考えると、私自身のか弱い女の身としての足あとが、日本の歴史に一つの大きな業績を残したのだと私は今でも信じている。

三浦も無論私の成功を喜んで呉(く)れた。だがすでにその頃からして三浦と私とは、全く別々の道を歩き初めていたのだ。
 

〈4〉「『お蝶婦人』をやって頂きたいのです」につづく 


※読みやすさのため、表記を新字新仮名にしています
※本記事には、今日では不適切とみなされることもある語句が含まれますが、執筆当時の社会情勢や時代背景を鑑み、また著者の表現を尊重して、原文のまま掲出します
※見出しは読みやすさのため、編集部で新たに加えています