私立学校である寺子屋

江戸時代の庶民の教育機関として一般的なのが、私立学校である寺子屋だった。江戸時代には庶民の義務教育制度はなかったから、お金をかけてまで子どもを寺子屋に通わせるかどうかは親の判断に委ねられていた。それでも、商品・貨幣経済の発達と社会の複雑化につれて、「読み・書き・そろばん」の必要性は増していった。その結果、寺子屋の数も、そこで学ぶ子どもの数も、しだいに増加していったのである。

そうしたなかで、村が主体となって寺子屋を設置することもあった。たとえば、信濃国諏訪郡瀬沢村(現長野県諏訪郡富士見町瀬沢)では、村に寺子屋の師匠がいなかったため、弘化4年(1847)に、村役人が、隣接する甲斐国(現山梨県)から俊助という人物を招き、5年間、寺子屋師匠として村に住まわせている。

『年貢-せめぎ合う江戸時代の領主と百姓』(著:渡辺尚志/中央公論新社)

これは、村による寺子屋師匠の招聘である。寺子屋の師匠は、村役人や村にある寺社の住職・神職が兼ねることが多かったが、村によっては村内に適任者がいないこともあった。そのような村でも、子どもを寺子屋に通わせたいという親は増えてくる。その場合には、他村の寺子屋まで、子どもを遠距離通学させなければならなかった。

そうした不便を解消するために、村が主体となってよそから師匠を招聘し、彼に住居を用意し生活費を支給するなどさまざまな便宜を図って、村での教育を委託したのである。村は、村人たちの教育要求に応えて積極的役割を果たした。