村人同士で暮らしを支え合っていた
また、村の有力者が困窮者に金銭や食料を支給・貸与するなどして、直接、経済的援助をすることも多くみられた。これは直接的には個人の行為だが、その背後にはそうした行為を有力者に促す村の力がはたらいていた。村には貧富の差が存在したが、これ自体は洋の東西を問わず、いずこの社会にもみられることである。
問題は、貧富の格差が際限なく拡大することと、富裕者が応分の義務と負担を果たさないことである。江戸時代の村には、この二つの問題を抑止する機能が備わっていた。富裕者はもてる財産を貧しい村人のために使うことで、村での尊敬を受けることができ、逆に私利私欲による蓄財は厳しく非難された。経済行為には、公益を考えるモラルが要請された。
幕府・諸藩は、村独自では対処しきれない広範囲の災害・凶作・飢饉などの際には、金や穀物を施与・貸与するなどの救済活動を行ったが、基本的には百姓たちの自力救済と相互扶助に委ねていた。公的社会保障制度が整っていなかった江戸時代には、高齢化・疾病・働き手の死去などによって困難な状況に陥った村人にとっては、村や村内外のさまざまな集団の援助が生きていくうえでの大きな支えとなっていたのである。
江戸時代には、村が個々の百姓の生産と生活を多面的に下支えしていた。セイフティネットは、基本的に村をはじめとする地域の諸集団が重層的に維持していた。村人同士は、ただ親しかったというだけではなく、実質的に暮らしを支え合っていたのである。ただし、江戸時代は、現代と意味は違うが「格差社会」であることは間違いなく、一概に「明るい」とか「暗い」とか言うことはできない。富農と貧農、男性と女性、老人と子どもでは、見える世界は違ったはずであり、複数の目線を交錯させて立体的な実像を描くことが重要である。
※本稿は、『年貢-せめぎ合う江戸時代の領主と百姓』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『年貢-せめぎ合う江戸時代の領主と百姓』(著:渡辺尚志/中央公論新社)
江戸時代、税の中核は年貢だった。
大名領が石高で表されるように、年貢は社会全体のありようまで規定していた。
だが、その実体はあまり知られていない。
年貢の成立から終焉までを巨細に解説する。




