三島は顔を強ばらせ、課題を忘れた学生のように慌てて頭を下げた。吉晴は残念だというポーズを示すために肩をすくめ、ゆったりとした口調で語り始めた。

「『勧工場』は、明治の初めに政府が催した国産品の博覧会から派生した、ショッピングセンターみたいなものだよ。当時は輸入品がとにかく人気で、逆に日本からの輸出は伸び悩んでいたから、政府は国産の優れた品物に賞を与えて、産業を活性化させようとしたんだ。表彰が行われただけでなく、一般人が入場料を払って出品物を買うこともできた。その博覧会のあとに売れ残った商品を、また一カ所に集めて、今度は誰でも入場できる形式で販売した。これが勧工場の始まりだ。商品がたくさん並んでいて、値札がついていて、誰でも買える。そんなわかりやすい販売方式に、当時の人たちは熱狂したそうだよ。やがて運営は民間に引き継がれ、勧工場は日本中のあちこちにできた」

「あれ? 商品が並んでいるのも、値札がついているのも、誰でも買えるのも、当たり前のことじゃないんですか?」

「さっきの呉服屋のイラストを見ただろう? 商品に値札なんてついていないし、商品は棚にしまわれている。お客はのれんをくぐって番頭に挨拶して、こういう品物が欲しいって相談する。番頭は番頭でお客を見てふところ具合を探り、商品を奥から持ってくる。さらに、お客がそれを購入するよう、これはこんなにいい商品で、だから高く買いなさいって講釈をする。この座売り方式が当時の常識だったんだ。勧工場は陳列販売、同一価格、掛けは禁止で現金のみ、と販売方式の近代化をもたらした。百貨店の前身だね」

「そのー……勧工場ってすごく気楽でいいように聞こえるんですけど、現代には残らなかったんですか?」

「勧工場はしっかりした組織が取り仕切っていたわけではなかったから、だんだん粗悪品が流通するようになって廃(すた)れたんだ。でも陳列販売方式は次第に主流になり、取り入れる呉服店が増えていった。そして明治の終わりに、三越呉服店がアメリカのデパートメントストアの一部を実現します、って宣言して、とうとう日本初の百貨店が登場した。座売りを廃止し、商品も呉服だけでなく化粧品や美術品、家具、日用品、海外からの輸入品など、豊富に取りそろえた。他の呉服店も同様に近代化して、ショーウィンドーやエスカレーターが導入された」