「会社は儲かっているみたいだけど、同時に俺たちの首を切りたそうにしてるから、やっぱりディストピアだよなあ」

「加々見先生、うちの大学でもAIは導入されているんですか?」

「されているけど、会議の議事録や時間割作成のサポートぐらいかな。梅木の職場ほどじゃないよ」

 七階インテリアフロアの書店コーナー、そして五階と六階を結ぶ階段の踊り場。いくつかのポイントで謎を解き、百貨店の繁栄と低迷を追体験しながら、吉晴はいつしか妻のことを考えていた。

 一つの新しい産業が生まれ、繁栄し、人々を魅了する。やがてその産業の穴を埋める形でまた新しい産業が生まれ、人々がそれまで知らなかった欲望を叶え、既存の産業を追い落とす。また別の新しい産業が生まれ、競争が始まる。押し寄せる波のように、誕生と躍動と衰退が繰り返されるのが人の社会だ。永遠に勝ち続ける会社はないし、人物もいない。いつかは誰だっていなくなる。

 ただ、新しい営みは、いつだって古い営みとつながっている。呉服店がなければ百貨店は生まれず、百貨店のない世界にスーパーは生まれなかっただろう。古い営みが作った航跡をしるべにして、新しい営みはさらに先へ行く。もっと、もっと、と進んでいく。

 定期的に調査で入らなければならない湿地に、熊が出るようになった。そう、美央が電話口でなにげなく口にしたとき、本当は「今すぐ辞めて帰ってきなさい」と叫びたかった。妻だけでなく、ある日突然娘まで失ったらと思うと、胸が張り裂けそうに痛んだ。

 しかし吉晴は「絶対に無理せず、気をつけて過ごしなさい」と言うに留めた。娘はもう大人で、力と時間を捧げる営みは、彼女自身が決めるものだ。あの子が無事に、自分が望む航路を走りきれますように。素敵な航跡を描けますように。いつも祈っている。

 演劇好きの、明るくひょうきんな性格だった元ゼミ生が、勤め先の歓迎会でアルコールハラスメントに遭い、帰宅途中に道路で倒れ車にはねられて亡くなったときは本当に辛かった。大切な笹舟が、叩き潰されるのを防げなかった。

 吉晴は都の労働局と大学のキャリアセンターに働きかけ、就活生や卒業生がハラスメントに遭った際に即座に対応できるように、労働局のスタッフを大学に招いて職員向けの「就職・就活ハラスメントに関する講義」を開催した。現在も、年に一度のペースで開催を続けている。亡くなった元ゼミ生の名前は、今も吉晴の内部で特別な響きを持っている。