僕の名前を付けた野球大会を

2011年、僕は2年連続でフルイニング出場を果たすことができました。

その年のオフには、地元の神戸で「栗山巧杯少年野球大会」を立ち上げた。

構想自体は何年か前からありました。

もともと、地域に何か貢献できる活動をしたかった。

僕は神戸市西区の少年野球リーグでプレーをしていました。

なので恩返しの意味を込めて、僕の名前を付けた野球大会を、ということになりました。盛り上がる大会をつくれれば、子どもたちはいろいろなチーム、選手と触れ合える。大会に合わせて野球教室もできる。母校の周辺だけでなく、幅広い地域の子どもたちに機会を提供できます。

高校や大学、プロで活躍できる選手が育つように、というような考えはそれほどありません。むしろ、小学校で野球をやめてしまう子にとっても、いい思い出になってほしいという思いが強い。そのためにも、毎年いいシーズンを送って、子どもたちに「会えてうれしい」と思ってもらえる存在であり続けたい。

そう思って、この大会をいまに至るまで続けています。

※本稿は、『獅子貫徹 ライオンズ一筋25年、理想の打撃を追い求めて』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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