「74年生きてきた中で出会ったすべての人たちが、僕を育ててくれました。みんなに《サンキュー》だよね。」

出会ったすべての人たちが、僕を育ててくれた

野獣会で洋楽に触れたことからエンターテインメントの世界へグイグイと惹かれていった僕は、田辺昭知さん、堺正章さん、かまやつひろしさんらで結成した「ザ・スパイダース」に所属し、メンバーとGS時代を駆け抜けます。スパイダースは7年間の活動期間を経て71年に解散。

その後、ソロ活動をはじめた僕は、ドラマ『ありがとう』に出演することになりました。プロデューサーの石井ふく子さんのお母様が、雑誌を見ていて「あんたに似たたれ目の子が出てるわよ」と指差したのが僕だったというのが大抜擢の理由らしい。なんてありがたいご縁なのだろうと思ったのを覚えています。

この世界なんて一匹狼の集まりみたいなものでしょう。でも、石井さんの手腕なんでしょうね、『ありがとう』の現場はとても居心地がよかった。もう一つの家族が増えたような気がしたんです。現場に毎日行きたくて仕方なかった。

当時、よく赤坂の石井さんのご両親の家に遊びに行きました。森光子さん、大原麗子さんと集って、おいしいご飯をご馳走になったり、楽しい話に花を咲かせたり。亡くなってしまった人もいるけれど、思い出は色褪せない。

黒柳徹子さんとの歌番組『火曜歌謡ビッグマッチ』を経て、『夜のヒットスタジオ』の司会をはじめたのは29歳の時。芳村真理さんとの掛け合いを、毎週楽しませてもらいました。黒柳さんや芳村さんのような時代の寵児と一緒に仕事ができたことは、僕の財産だなあ。

74年生きてきた中で出会ったすべての人たちが、僕を育ててくれました。みんなに「サンキュー」だよね。過去に出会った人たちだけじゃない。生きていること、元気なこと、仕事があること、仲間がいること……。何もかも当たり前じゃない。

いつどうなるかわからないからこそ、周りにできるかぎり感謝を伝えながら生きていきたい。そして生まれ変わっても、もう一度井上順という人生を歩みたいね。