そんなに簡単に上書きされるはずなんてない
母への率直な思いを正直に書いておこうと思います。きれいごとではなく本心を。
嫌な思いをされる方もいるかもしれません。ですが、同じ境遇で途方に暮れている人に「仲間だよ」と伝えて、少しでも元気になってもらいたい。
そう思って、自分の中の「どす黒い」と思う部分も『ぼけますから、よろしくお願いします。-おかえりお母さん』には全部書くことにしました。
たとえば、昔の母がどんなにチャーミングだったかという話。
母は人生を楽しむ達人でした。前向きで、社交的で、冗談好き。周りはいつも笑いが絶えませんでした。家庭人としても完璧でした。料理上手で、きれい好き。手先が器用で何でもこなす。私の洋服は全部母の手作りでした。
「かわいいの着とってじゃねえ」
そう声がかかるたびに、幼い私はくるっと回って自慢げに答えていたそうです。
「ほうよ。お母さんが作ってくれたんじゃけん」
こうやって昔の思い出を書くと自然と笑みがこぼれてきます。そして思うのです。
大好きだった母を、認知症の母に上書きされることが怖くて、あの頃の私は母と真剣に向き合うことから逃げていたんだなと。そんなに簡単に上書きされるはずなんてないのに……。
※本稿は、『ぼけますから、よろしくお願いします。 おかえりお母さん』(新潮社)の一部を再編集したものです。
『ぼけますから、よろしくお願いします。おかえりお母さん』(著:信友直子/新潮社)
母が認知症診断を受けて4年半、介護サービス利用が始まってほっとしたのも束の間、東京で働く著者に広島で暮らす父から電話が。「おっ母がおかしい」。救急搬送され、そのまま脳梗塞で入院した妻に、98歳になった父は変わらぬ愛情を注ぐが……。遠距離介護を続ける娘が時に戸惑い、時に胸を打たれながら見届けた夫婦の絆。老々介護のリアルを娘の視点で綴った話題作、待望の続編!