天井を向いて義兄の名を叫んでいた

さらに、今年の元旦にNHKラジオの『高橋源一郎の飛ぶ教室』にライブ出演したときもそうだ。日本時間の夕方というのは、英国ではマイナス9時間(冬時間の場合)の時差があるため朝になる。早起きをして、二日酔いのぼんやりした頭で自分の出番である後半の新春座談会を待っていたら、前半は谷川俊太郎さんの特別インタビューだった。

ここでもわたしはまた、コーヒーを喉につまらせてむせることになった。なぜなら、岩波書店の『図書』という雑誌で谷川さんとの往復書簡連載が始まることになっていて、1回目の原稿を年明けには出すよう言われながら、まだ手もつけていなかったからだ。これなどは担当編集者の怨念を感じずにはいられない偶然だが、まさか彼女が陰で糸を引いていたわけでもあるまい。

そして、最近でもっとも驚いた偶然は、連合いががんで入院し、院内感染でコロナにかかって危険な状況に陥っていたときに起きた。

自分もコロナにかかって高熱で朦朧としていたわたしは、それでもキッチンで息子の夕食を作っていたのだったが、体が弱っていたせいかものすごくネガティブな気分になってしまった。で、数年前に亡くなった義兄の名をなぜか叫んでいたらしい。

連合いの兄姉のなかでも、わたしと一番仲がよかったのは彼だった。ずっと独身で、ほぼ引きこもりのような状態で生きた人だったが、とてもインテリジェントで、毎朝ミサに通っていたほど信仰深かった。長年アイルランドの田舎で義母とともに暮らし、晩年は義母の介護をしていたが、義母が死去した2ヵ月後に、義兄もひっそり自宅で亡くなっていた。なぜかわたしは、こんなときに頼りになるのは彼しかいない気がして、

「兄弟仲がよくなかったのは知ってるけど、助けてあげて。お願いだから」

と天井に向かって義兄の名を叫んでいたと、後で息子に聞かされた。