洋服文化は、西欧で生まれたもの。ヨーロッパもアメリカも、日本とは文化がまったく違います。私は、その違いこそ、実は大事なのではないかと考えるようになりました。そして違いを作品に表現し、アメリカで発表しようと決心したのです。周りの誰もが反対するなか、ただ1人賛成してくれたのは夫でした。でも、決めてから実現するまでに、4年くらいかかりましたよ。

まず、布がありません。美しい生地は和服の反物しかないので、幅が狭くて洋服には向かないのです。しかもアメリカのサイズは6から始まって20くらいまである。アトリエの裁断師をサンフランシスコで勉強させるなど、できる限りの努力をし、布も探し続けました。

試行錯誤を重ねた末、39歳の時にニューヨークで作品を発表。トレードマークは蝶です。メトロポリタン歌劇場で見た『マダム・バタフライ』に対して、「日本の蝶はそんなものではない」という、私のささやかな反骨精神のあらわれだったのかもしれません。

アメリカで成功をおさめたあと、50歳を過ぎてからパリのオートクチュールに進出しました。海外での苦労は、とてもひとことでは言えません。でもどれほど大変だったとしても、好奇心と、新しいものを生み出す喜びのほうが勝っていました。

そして何より日本人としてのプライドこそが、私を支える大きな力となったのです。1$ブラウスを見た時のショック。『マダム・バタフライ』で受けた屈辱。そういうことが自分のエネルギーのもとになったから、ちょっとやそっとのことでは、くじけませんでした。

今思うと、戦後何もない時代から徐々に活気を取り戻していった日本の空気もまた、デザイナーとして生きる私の背中を押してくれたのかもしれません。