巴の子・朝比奈三郎義秀の伝説
巴の子という説も聞かれる朝比奈三郎義秀。ドラマではそこまで活躍の機会はありませんでしたが、この人も快男児として、特に江戸時代には”スーパースター”としてよく知られていました。
ただし史実ベースで計算してみると、かりに和田義盛と巴が婚姻したとして、義秀はすでに9歳。二人の子ども、はムリなのです。でも、江戸時代の人々は大らかに物語を楽しんだのでしょう。
史実の彼は水練の達人として知られた、安房国に所領を持つ武士だったとされます。怪力としても有名で、鎌倉の朝夷奈の切通は義秀が一夜で切り開いた、という伝説も残っています。
義秀については、小壺の浜でのエピソードが有名です。
正治2年(1200年)9月、小壺の浜で2代将軍・源頼家が船を出して酒宴をいた際、水練の達者と聞き及ぶ義秀にその芸を披露するように命じました。義秀は海に飛び込み、海の底へ潜って三匹の鮫を抱きかかえて浮かび上がり力を誇示したそう。
頼家が褒美として名馬を授けようとすると、兄・和田常盛が横やりを入れました。その馬は私が前から欲しがっていたものである。私・常盛は相撲ならば弟には負けない。勝負だ、と言うのです。
二人が浜で相撲の対決をしたところ、二人とも大力で勝敗が決しなかったため、北条義時が間に入って引き分けさせました。すると、常盛は衣を着替える間もなく馬に飛び乗って去ってしまった。義秀は大いに悔しがり、その座にいた者は大笑いした、というのです。
三郎もすごい怪力ですが、和田の家督だった常盛も父の義盛に似て、愛すべき暴れん坊だったようです。