「匿名性」と「記号化」がもたらす残虐性

連載「コロナ禍でライターになったら、電話やオンラインでの仕事が当たり前だった!対面での触れ合いに飢えている」でも書いたように、オンラインで伝わる相手の情報と実際に会って感じるものはまるで違う。

ネットの誹謗中傷が社会問題化して久しいが、なぜ人間は、ネットおよびSNSではあんなにも残虐になれるのか。それは「匿名性」だけが原因だとは思えないのだ。

SNSではアカウント名とアイコン画像。それをみて相手を判断する。

そこでは「生身の人間」の“実存性”や“尊厳”は透明化され、人間は「記号化」される。

「匿名性」と「記号化」という複合的要素が、剝き出しの暴力性を生んでいる気がしてならない。

知人からもらったキンモクセイ

SNSは思わぬ出会いを生むし、温かい繋がりも生まれる。私自身何度救われたか分からない。ただ、正直最近は辟易することもあまりに多い。

どろどろとした人間の醜い部分、憎悪や嫉妬といった負の感情の吹き溜まりのように感じる時がある。

知人が、「ツイッターは怒りの増幅装置」と言っていたが、そういう面は否定できないと思う。