親元を離れて就職したのは、名古屋の三菱重工系列の三菱発動機。航空機のエンジンを作っていた。
少年航空兵に憧れた。予科練の制服の7つボタンが、とてもかっこよく見えた。「どうせ戦争で死ぬことになるだろうから、早いほうがいい」。そう思って少年航空兵に志願したが、身長が足りず、合格しなかった。
やがて、名古屋はB29に爆撃される。いの一番に鈴木さんの工場は攻撃されて、なくなった。名古屋は一面の焼け野原となった。
それが15歳のときだ。玉音放送も覚えている。
実家では、あとを継ぐはずだった兄たちが、次々と戦争や病で亡くなっていた。末っ子の自分だけが残り、跡取りとなった。
「6男の自分が、まさか家を継ぐとは思わなかったよ」
家計を支えるために、山仕事をしてきた。幸い自分の家には山林があった。
杉やヒノキを伐っては、材木屋に売った。雑木は薪屋に売った。木の伐採、搬出、間伐、下草刈り、造林、索道作りなどを行った。
木馬という、木を運び出すソリのような道具も使った。ゆるやかな山の斜面に、鉄道の枕木のように丸太棒を並べ、その上を滑らせていく。いくつもの桟橋を音を軋ませながら、丸太で作った軌道の上を通り抜ける。一瞬の気のゆるみも命取りになる。
当時は、木材が足りない時代で、業者が買いに来た。