現在は約1000本のコレクションが手元に

勤め先の大手保険会社では、「怖いもの知らずの性格が幸いして」、飛び込み営業が次々と成功。20代で会社トップの営業成績を獲得し、初任給が1万円の時代に月収で車を買えるような月もあったという。

29歳で結婚して専業主婦になるが、人のいい夫が知人にお金を貸したり保証人になったことで多額の借金を背負い、「税務署の差し押さえって、本当に赤紙を貼るんだわーって経験もしました(笑)」。35歳で一人娘を連れて離婚したが、元夫とはその後も友人として付き合い、「彼ががんで亡くなる前も、この家に迎えて最期を看取ったんですよ」。

娘に安全な物を食べさせたいという思いから、無添加のパン作り教室と製造機の販売を始めるが、軌道に乗ったところで大手メーカーの参入に遭い手を引くことに。その後も投資話に乗って失敗したりと、紆余曲折、波瀾万丈の人生を送った山田さん。その間もステッキは、デパートなどで気に入るものがあれば買い求めていたという。「アンティーク・ステッキとの出会いは、1980年頃。パリの骨董店でガラス製のそれは素晴らしいステッキに一目惚れしたことが、コレクションの始まりです」。

それから40年以上。国内外のアンティークショップや蚤の市で買い求めたもの、また亡くなったコレクターの先達2人から寄贈されたコレクションも含め、現在は約1000本が手元に集まっているという。

(左)19世紀末から20世紀初頭に作られた、フランス・デーヴルのファイアンス焼のハンドル。真っ白な地肌が特徴の陶磁器(写真提供:山田さん)(右)躍動感あふれる象はブロンズ製

後編につづく