関ヶ原で勝利を収めた家康。ついに全国統治へ――(写真提供:Photo AC)

松本潤さん演じる徳川家康が天下統一を成し遂げるまでの道のりを、古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第44回で関ヶ原での本戦は東軍の勝利で終わり、大坂城で関ヶ原の戦勝報告をおこなった家康。しかし、茶々(北川景子さん)からは、茶々の次男・秀頼と孫娘・千姫との婚姻を約束させられて――といった話が展開しました。一方、静岡大学名誉教授の本多隆成さんが、徳川家康の運命を左右した「決断」に迫るのが本連載。今回のテーマは「家康による全国統治」です。

都市の直轄化

家康は関ヶ原の合戦で圧勝し天下の実権を握ると、開幕以前からさっそく全国統治への意欲を示し始めた。ここではまずその主要な三点について、みてみることにしよう。

第一に、主要な都市や重要な鉱山を直轄化したことである。まず都市についてみると、京都・伏見・堺・奈良・伊勢山田 ・長崎などがあげられる。

とりわけ京都については、関ヶ原の合戦直後に奥平信昌を所司代(京都守護職であったともいう)に任命し、治安の回復にあたらせた。翌慶長六年(一六〇一)九月からは江戸町奉行であった板倉勝重が就任した。

京都所司代の職掌は、京都の町の統治、朝廷や公家・門跡との折衝・監察、京都一帯の寺社の統制、西日本諸大名の監視など多岐に及んだ。寛文八年(一六六八)に京都町奉行が設置されるまでは、五畿内および丹波・播磨・近江八ヵ国の民政も担当した。

勝重は慶長八年(一六〇三)に従五位下伊賀守に叙任し、同十四年には加増されて大名に列し、以後は代々大名をもってこれに補し、老中に次ぐ重職であった。勝重はこの重職に一九年も在職した。

その他の諸都市では基本的に奉行が置かれ、その地の民政を担当した。やや特色があるのは、対外関係にもかかわった長崎奉行である。遠国奉行として老中の管轄下にあり、長崎の民政、長崎会所や出島の監督、清国・オランダとの通商、各種船舶などの管理や諸外国の動静監視など、その任務は多方面に及んでいた。

奉行としては、慶長八年(一六〇三)に豊臣取立大名寺沢正成(のち広高)から徳川譜代の小笠原一庵に替えているが、幕藩制初期では慶長十一年から一二年間にわたって奉行を務めた長谷川藤広の役割が大きかった。