撮影:本社写真部
健康で長生きすることは、多くの人にとって共通する願いでしょう。「きくち体操」創始者の菊池和子さんも、「死ぬまで自分の足で歩き続けられる体を作ることが大事」と言います。昨今、話題の「きくち体操」が世に出るまでの苦労を菊池さんに伺いました。(構成=山田真理 撮影=本社写真部)

体の動かし方より生き方を問うもの

私は今年で85歳になりました。「きくち体操」を始めたのは、今から五十数年前。始めた頃は理解してもらえないこともありましたが、ようやくここ数年はテレビや雑誌、講演会を通じて関心を持ってくださる方が増えて、嬉しく思っています。

「きくち体操」は、人の体の仕組みを理解し、自分の体としっかり向き合ったうえで、意識を集中して体を動かすというもの。いわゆる普通の「体操」とは違い、体を鍛えたり、決まった形を何回やらなければいけないということではないのです。

煎じ詰めれば「あなたはどう生きていきたいですか? そのためにはどう自分の体と向き合って生かしていけばいいと思いますか?」と問いかけるもの。体の動かし方よりも「生き方」をお伝えしているのだと私は考えています。

体操というと皆さんの頭にまず浮かぶのが、ラジオ体操ではないでしょうか。私も国民学校で、毎朝みんな揃ってラジオ体操をしました。戦争中に「健康になる」「体を鍛える」というのは、つまり「お国のために尽くせる体になる」ことでした。体の弱い人、病気や怪我で動けない人は、「生きる資格がない」くらいの言われ方をしたものです。

聖路加国際病院名誉院長だった日野原重明先生に生前お会いしたとき、「僕は結核で戦争に行けなかったから、その時代には『できそこない』だったのですよ」と語っていらっしゃいました。

「でもそのおかげで音楽を聞いたり本を読んだり、いろいろなことを考えられた。僕は結核に感謝しています」とも。そのときどきの社会が見なす「健康」と、その人の人生の充実とは必ずしも一致しないのではないでしょうか。

終戦後に私が学んだのは、日本女子体育短期大学。創立者の二階堂トクヨ先生が現在放送中の大河ドラマ『いだてん』で取り上げられた、あの学校です。体育教師になるため、陸上からバレーボール、砲丸投げまで、ありとあらゆるスポーツを学びました。

卒業後、中学校の体育教師として10年ほど勤めましたが、その授業は文部省の指導要綱に沿って、主にスポーツの種目を指導するというもの。努力しなくても、もともと足の速い子や上手にできる子がよい成績で、一生懸命に努力して頑張ってもうまくできない子はその努力を評価することが難しい。

教師になったばかりの頃はそんな現実に悩み、全員の成績に3をつけて校長先生に呼び出されたこともありました。体育の授業こそ、子どもたちの人生に役立ち、健康で幸せに暮らせるための勉強じゃないと意味がないのではと、いつもモヤモヤしていたのを覚えています。