2022年、61歳の奥様に先立たれたというベストセラー作家の樋口裕一さん。10歳年下の奥様は、1年余りの闘病ののちに亡くなられたとのことですが、樋口さんいわく「家族がうろたえる中、本人は愚痴や泣き言をほとんど言わずに泰然と死んでいった」そうです。「怒りっぽく、欠点も少なくなかった」という奥様が、なぜ<あっぱれな最期>を迎えられたのでしょうか? 樋口さんがその人生を振り返りつつ古今東西の文学・哲学を渉猟し「よく死ぬための生き方」を問います。
ステージ3――抗癌剤治療始まる
妻が癌を発症したのは、私が大学教授の職を定年でやめ、時間を決められて外出するのは週に3日間ほどだけで、あとは自宅で物書きをしたり、かかわっている機関の仕事をするようになっていた時期だった。
妻は私が印税や教育関係の仕事のために経営している従業員のいない零細企業の経理を担当していたが、たいして収入のない会社なので、それほどの仕事もなく、ほぼ専業主婦として生活していた。
経済的に困っているわけではなかったが、もちろんたっぷりの余裕があるわけでもなく、東京多摩地区の駅から徒歩20分ほどかかる郊外に居を構えて暮らしていた。
妻は自覚症状があって産婦人科医院に出かけ、癌の疑いがあると知って、近くの大病院で検査を受けたのだったが、検査の直前まで、夫である私にもそのことは伝えず、何事もなかったかのように日常生活を送っていた。検査の前日に初めて私に打ち明け、驚く私を尻目に一人で検査を受け、一人で結果を聞きに行った。私が同行することを申し出たが、一人で大丈夫だといって聞かなかった。
癌とわかってからも、特に態度に変化はなかった。私に癌を伝える時も、うろたえる私を前にして、きわめて平静だった。確かに、最初は「ステージ1であると考えられる」と聞いていたので、それほど命にかかわる事態とはとらえていなかったのかもしれないが、それにしても冷静そのものだった。
その後、手術を受けると、ステージ3であるらしいことが判明した。抗癌剤治療を始めた。状況によっては数時間、時には一日入院して、治療を受けた。