『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマでは藤原道長と伊周の権力争いが描かれましたが、伊周の弟・隆家が花山院に矢を放った「長徳の変」をきっかけに、兄弟は力を失っていきます。しかしその隆家、実は日本を救った英雄と言われているのはご存じでしょうか? 道長の全盛期、九州へ異民族が襲来。老人・子供は殺害、壮年男女が捕虜として連れ去られて牛馬は斬食されました。特に対馬・壱岐は壊滅状態に…。突如瀕した国家の危機に対応、外敵を撃退したのが隆家だったのです。歴史学者・関幸彦先生の著書『刀伊の入寇』よりその一部を紹介します。
隆家の失意
そもそも刀伊の入寇とは…
藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。東アジアの秩序が揺らぐ状況下、中国東北部の女真族(刀伊)が海賊化し、朝鮮半島を経て日本に侵攻したのだ。
道長の甥で大宰府在任の藤原隆家は、有力武者を統率して奮闘。刀伊を撃退するも死傷者・拉致被害者は多数に上った。
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権力の帰趨は外戚関係の有無が大きい。一条天皇に入内した定子・彰子いずれも皇太子候補を誕生させたが、定子の場合は父道隆の死去で後見を失ったことが影響した。
花山院誤射事件による伊周・隆家の左遷も中関白家に逆風となった。
とはいえ、隆家たちにも希望はあった。定子所生の敦康親王の立太子への望みである。
しかし、それも彰子所生の敦成親王誕生で状況は微妙となる。一条天皇は道長との関係を慮かってか、寛弘8年(1011)の三条天皇への譲位にさいし、将来における東宮として敦成を指名したのだった。
隆家の失望は大きかった。