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一見、汚れていないようでも場を整える。禅の世界で掃除を大切にする理由は、「心」にありました(構成:島田ゆかり イラスト:堀川直子)

血の巡りがよくなり、頭も冴えてくる

「一掃除、二信心」という禅の言葉があります。最初にするべきは掃除で、信心(信仰)はそのあと、という意味です。

実際、禅僧たちは毎日、掃除をすることが修行のひとつになっています。境内には枯れ葉一枚落ちていません。それでも掃除をするのは、場を整えれば心が穏やかになり、磨かれていくからです。

仏教の教えには、世のすべては移り変わり、永遠に変わらないものはないという「諸行無常」の考え方もあります。ほこりは掃いたそばから溜まっていく。床は磨いたそばから輝きを失い、きれいな状態は一瞬たりとも保たれません。だからこそ、禅僧たちは一見汚れていないようでも、日々の掃除を欠かさないのです。

掃除の習慣が身につくと、散らかった空間を不快に感じるようになります。そしてすべてのことに丁寧に取り組めるようになる。ものを扱う所作はもちろん、人に対しても心のこもったコミュニケーションができるようになるのです。

ホテルのように整った場に行くと、居住まいが正されるような気持ちになることはありませんか? 清潔な空間で過ごしていると自然と生活習慣が整い、だらしなく過ごすことがなくなるのです。

掃除は健康にも影響をもたらします。体を動かすと血の巡りがよくなり、頭も冴えてくる。「庭掃除を始めたら、飲む薬が半分になった」と言う人もいるほど。掃除をすることですべてがうまく循環し、人生にいい影響を与えるようになるのです。

私は、身のまわりを整えることを「掃除道」と名づけました。茶道や華道、書道、剣道は技術を究め、修行を通して生き方も改まっていく。それが「道」というものです。

同じように掃除を究めることで、生き方を整えるのが「掃除道」。日々、丁寧に心を込めて床や窓を磨くうちに、自身が変わり始め、人生が好転していくのです。