(写真提供:Photo AC)
野球、観劇、アイドル、VTuber、アニメなど、『推し』がいるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。文芸評論家で、2025年の『第76回NHK紅白歌合戦』ではゲスト審査員も務めた三宅香帆さんは「日本人にとって推し活はもはや一時の熱狂ではない」と語ります。そこで今回は三宅さんの著書『推したちとどう生きるか』より一部を抜粋し、「ポスト消費社会における『推しの構造』」をお届けします。

「学校」の少年少女を生み出す仕組み

「茶の間」のスター

テレビがお茶の間にあるのが当たり前になった時代、美空ひばりや江利チエミといった戦後の歌謡スターとは、異なる存在が求められていた。欧米的でモダンな若者文化を体現し、それでいてテレビの日常的な番組のなかに溶け込める存在。

テレビの時代の、テレビの感性における歌や歌手やタレントの必要性は切実で、それは、茶の間の空気の中で、ごく自然に振舞える個性であった。
(阿久悠『夢を食った男たち 「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代』文春文庫、2007年)

そう、「茶の間」のなかに溶け込める自然さ。対比されるのは、映画や劇場や舞台といった、ハレとケでいえば「ハレ」の場で輝くスターたちである。芸能とは長らくハレの場の、非日常空間のスターたちのことを指した。だが一億総中流化していく日本で、テレビやラジオやレコードは「ケ」つまり家庭の日常、お茶の間のアイデンティティを保つためのものになっていく。それはむしろ、大衆的で家庭的な娯楽である必要があった。

そのときテレビ文化の担い手として必要になったのは、「アイドル」という名の未完成な若者の身体だったのである。