こうして私たちは何とか店を継ぐことが出来ました。けれどただそれだけ。手元はないない尽くしでした。

何しろ先代が大半の在庫を京都に持って行ってしまったために商品はほとんどなく、仕入れようにもまったく資金はありません。先代のきものを愛してくださっていたお客様の中には、当然、離れていく方もいらっしゃいました。

八方塞(ふさ)がりで銀行に借金するしかない状況でしたが、その時、先代には見えていなかった悳次の長所が力を発揮しました。そう、彼は人に好かれるのです。

学生時代の同級生が資金援助を申し出てくれました。本当に純粋な友情からの申し出で、何しろ全面的にその方の資金を借りて事業をするのに、「社長はやっぱり悳ちゃんがいいよ」と、決して経営権を握ろうとはしないのです。

こうしてまったくのゼロから、新しい、私たちのむら田が始まりました。無我夢中で夫婦二人力を合わせ、店はやがて二年ほどで軌道に乗っていきました。

 

※本稿は、『九十一歳、銀座きもの語り』(村田あき子・西端真矢:著/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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九十一歳、銀座きもの語り(語り:村田あき子/構成・文:西端真矢/KADOKAWA)

91歳、銀座の小さな老舗呉服店の女店主の、きものと生きた日々。
創業200年。銀座の呉服屋で、きものの仕事に携わり70年、店主となって30年。90歳を過ぎても毎日、きもので店に立ち続けた。きものとともに生きた日々を語る。