お客様の顔ぶれが新しくなると、少しずつ売れ筋も変わっていきました。

まず、更紗の帯がよく出るようになりました。この頃にはエスニックが流行し、更紗の帯自体は他店でも扱うようになっていましたが、「むら田」ではより上質なものを扱うよう心がけました。

中でも入手が難しかったインド更紗を揃えることが出来たのは、ひとえに亡き夫のおかげです。時々店にやって来る長いつき合いの古裂商たちは夫亡き後も変わらずに取引を続け、私たちの好みに合う更紗を探し出してくれました。古裂蒐集の旅について、いつも批判的に眺めていましたが、夫に感謝しなければいけません。

そして、新しいお客様から、訪問着など染めのきもののご要望を頂くことも増えていきました。もちろんこれまでも染めのきものを扱って来ましたが、東急の支店など百貨店のお客様が多く、銀座店は何と言っても紬が主流でした。

私としては、当然、新しいお客様のご希望にお応えしたいと思いましたが、問屋さんや染屋さんが持ってくる染めのきものにはわっと模様が入っていたりして、私の好みに合うものはとても少ないことを実感しました。

それなら、と私自身の手で新作きものを作り始めたのが、6丁目移転後の大きな変化の一つです。晴海通りを越えることで店は大きく変わり始めたのでした。

 

※本稿は、『九十一歳、銀座きもの語り』(村田あき子・西端真矢:著/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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九十一歳、銀座きもの語り(語り:村田あき子/構成・文:西端真矢/KADOKAWA)

91歳、銀座の小さな老舗呉服店の女店主の、きものと生きた日々。
創業200年。銀座の呉服屋で、きものの仕事に携わり70年、店主となって30年。90歳を過ぎても毎日、きもので店に立ち続けた。きものとともに生きた日々を語る。