子どもの頃は母や従妹たちと映画館に通いました。高校生になると友人を誘って。ロードショーは高くて行けないから、1本50円、3本立て150円の名画座へ。館によってプログラムが違うので、目当ての映画を探して東京中を駆け回りました。
夢中になったのは、洋画です。だって日本人が飢えているとき、『風と共に去りぬ』のような豪華な世界を作り上げていたのですから。主人公の日常を観るだけでも楽しかったし、俳優が話す言葉を知りたいと思って、中学の英語の授業にも夢中になりました。
同居していた祖母に、『LIFE』というアメリカの写真雑誌のキャプションを訳してあげて喜ばれたことが、今の仕事につながっているかもしれません。
英語教育に強いといわれた津田塾大学へ行きましたが、つい大学とは逆方向の電車に乗って映画館に通ったものでした。
字幕の面白さに目覚めたのは、高校生の頃。それを担う人に自分もなりたいと、英語字幕翻訳の第一人者だった清水俊二さんに「字幕の仕事がしたい」と手紙を送りました。清水さんには「難しい仕事だからあきらめなさい」と諭され、保険会社に就職。
けれども、会社勤めは性に合わずに1年半で退職。細々と翻訳のアルバイトを続けながら、年賀状で「あきらめきれません」と訴え続けたところ、清水さんも根負けしたのか(笑)、字幕ではないけれど、小さな仕事を回してくれるようになったのです。
