いつも『がんばらない』ふりをしていた
青森県の農家の末っ子で、勉強が好きだったが小学校しか行けなかった養父・岩次郎は、上京して運転免許を取り、バスの運転手などを経て個人タクシーを営業していた。そして心臓病を患い、入退院を繰り返していた養母・ふみのために働きづめに働いていたのだ。
鎌田が小学生だった当時、医療費は全額自己負担だったから、それはどれほど大変な額だったろう。小6のときに養母は、日本で始まったばかりの心臓外科手術を受けている。「国民皆保険」になったのはそれからしばらくしてからだった。
いつもひとりで留守番をしていた鎌田は、深夜になって帰ってきた養父といっしょに定食屋へ行った。養父は必ず、「何が食べたい?」ときいてくれ、鎌田はもやし炒めがいい、と答えた。それを半分ずつ分け、あとはみそ汁でどんぶり飯を食べた。
養父が晩年に、鎌田の妻が作ったもやし炒めを食べながら、「お前は子どものころ、もやし炒めが好きだったなあ」といったことがある。
それが一番安かったからだ、本当は違うものが食べたかった、とはいえなかった。
「うん、おれはもやし炒めが好きだったから」とだけ鎌田は答えた。
「岩次郎さんは無口で、厳しいひとでしたよ」
亡くなった養父のことを、鎌田は岩次郎さんと呼ぶ。
「躾にうるさくて、割り当てられた家事がきちんとできていないとやり直しを命じられました。運動会で一番になっても、試験でいい点を取っても決して褒めてくれなかった。ぼくは全力で努力していてもそう見られることが嫌で、いつも『がんばらない』ふりをしていたから、余力を残して手抜きしているように見えて歯がゆかったのでしょうね。頑固で怖い存在で、父とはいつもぶつかっていましたよ」
