「うちみたいな貧乏人がどんな思いで医者にかかっているか」

優しい養母のことは、好きで好きで仕方なかった。休みの日にはバスに乗って病院へ行き、病室のベッドに一日じゅう潜り込んで、学校のことをあれこれ話した。

「みのるちゃん、すごいね」

父が褒めてくれないことを母は褒めて、布団のなかでぎゅっと抱きしめてくれた。それが本当に嬉しかった。無条件に愛された思い出だ。

やがて鎌田は都立西高校に進学する。東大へ行くのが当たり前のような、優秀な進学校だ。高校3年のとき、医学部へ行きたいと養父にいう。

医者になりたいと思ったきっかけはわりと単純だった。北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』を読んで、自由に外国へ行くことのできる船医に憧れたのだ。

養父は激怒し、鎌田は驚いた。まさか反対されるとは思っていなかった。同級生たちなら、医学部へ行くといえば親は喜んで、家庭教師を付けてくれるというくらいなのに。

養父の考えは違っていた。高校を出たら働け。大学に行かせるような経済的余裕は家にはない。ましてや医学部なんて、貧乏人には無縁の、金持ちの行くところだと思い込んでいた。

何度泣いて頼んでも、受験の許可は下りなかった。夏休みのある日、いくら話してもわかってもらえない悔しさに、鎌田は身体ごとぶつかっていった。泣きながら、養父の首に手をかけ、2人で床に倒れこんだ。

ようやく、養父がいった。そこまでいうのなら、お前に自由をやる。自分は母さんの世話をするだけで手いっぱいだ。だからお前は自分のことは自分でしろ。学費も生活費も、全部自分で稼げ。

そして鎌田が大学に入学したその日から、見事にひと言も、鎌田のすることに口を出さなくなった。

「受験を認めてくれたとき、同時に岩次郎さんにいわれたことがあります。『うちみたいな貧乏人がどんな思いで医者にかかっているか、ぜったいに忘れるな。約束してくれ』。その前から、イギリスの炭鉱街の診療所で医者をしていた作家クローニンの小説を読むなどして、自分なりの医師像を描いていましたが、岩次郎さんにそういわれてから、自分はなぜ医学部に行きたいのか、いろんな人の役に立つために何ができるのかということを真剣に考え始めました。もし反対されていなかったら、そんなことは考えなかったでしょうし、今のぼくはなかったでしょうね」