ふさわしい最期
そのような話を聞くと、
「さて、私は?」
と考えざるを得ない。これまでは気にはなるけれど、まあまあまだ大丈夫という妙な安心感があったのだが、さすがに50代後半になると、そんなことはいっていられなくなった。いつ何時、私も母親のようになるかわからない。明日そうなるかもしれないのだ。母親自身はずっと低血圧で、本人が、
「高血圧よりも、実は低血圧のほうが怖いらしい」
といっているのを何度も耳にしていた。低血圧ならば脳内出血などとは無関係ではと考えていたが、それが覆された。低血圧でも脳内出血を起こすのである。また倒れる1週間ほど前に彼女は検診を受けていた。その結果は倒れた直後に届いたが、結果は「異常なし」だった。それを知って、
「何が『異常なし』なんだ?」
と不思議で仕方がなかった。何の兆候もなく、異常なしということは血圧も正常だったのだろう。それが突然、あのようになるなんて、いったい何が何だかわからなかった。
私は独身だし、ひとりで死ぬのが当たり前と若い頃から考えているので、そのことに関しては平気なのだが、なるべく周囲に迷惑をかけないようにしたい。1週間に1度、体調チェックをしてもらっている漢方の先生からは、
「長生きするのが目的ではない。ぽっくり亡くなるのが目的」
といわれている。それが両方重なればいちばんいいのだろうが、そうはいかない。
私の母方の祖母は、朝食を食べ、自分の分の食器を洗い、ソファでのんびりしているときに亡くなった。自分の祖母ながら、
「何とうらやましい。あやかりたい、あやかりたい」
と拝みたくなった。母親はぽっくり逝かずに、とても運がいい状態でこの世に戻ってきて、自分の都合の悪いことはすべて忘れるという、自分がいい気分になる記憶しかない。人それぞれ、ふさわしい最期というものがあるのだろう。