過去の記憶を一旦なしに

それに、もしこのまま嫌いな母が亡くなったとて、このモヤモヤした感情がすっきりするとは到底思えなかったのだ。きっと、母がこの世から居なくなっても、母が嫌いだという感情と、解決しようとしなかった後悔が押し寄せてくる気がした。

何かが変わるなら、とわたしは東京から名古屋まで毎週クルマを走らせた。
車内で機嫌よく母に話しかけるセリフを稽古した。
「こう言ったらこうかえって来るに違いない」という過去の記憶を一旦なしにした。
母の言動や感情に、引っ張られることなくにこやかにしよう、と頑張って決めた。

本連載がまとまった青木さやかさんの著書『母』が5月10日に発売されました

この挑戦は簡単ではなかった。
3歩進んで2歩下がるという表現が正しいだろうか、ついため息をついてしまうこともあった。目を合わせたくない日もあった。

だけど、少しずつ階段を確実に登った。
最終的に、母と機嫌の良い空気の中で他愛もない話ができた。
それはわたしにとって、それまでで最も難しいことだった。