おひとり死の可能性

いろいろなことを考えました。

一つは私が真っすぐに老いの階段を降下中で、杖、車椅子、すべての行動に介護付き、という未来がより明確に見えてきたこと。

今わが家の階段の降り口に、転落防止の柵を造ろうか、考えています。かえって余分に気にする場所が増えて、柵にぶつかるんじゃないか、と悩んでいます。

降り坂の人生を、わが身一つに引き受けて、だれをも恨まず(恨めず)人生の道程の一つと受け止めて、できれば「晴れやかに」老いる。

難しいことですが挑戦してみたいと今は思っています。たちまち負けいくさかもしれませんけれど。

樋口さん「降り坂の人生を、わが身一つに引き受けて、だれをも恨まず(恨めず)人生の道程の一つと受け止めて、できれば《晴れやかに》老いる。難しいことですが挑戦してみたい」(写真:本社写真部)

もう一つは「孤立死」の問題です。私は気絶もしなければ、身動きできなくなったわけでもなかった。でも一人では立ち上がれませんでした。

娘がいなければ誰も助けてくれず、そのうちに失神したかもしれません。