努力の余地が生まれる

根拠はなくても「自分は運がいい」と決めてしまったほうが、実際に運はよくなるのです。ではなぜそういえるのでしょうか。

たとえば仕事でうまく契約がとれなかったとしましょう。自分は運がいいと思っている人は、「自分は運がいいのに契約がとれなかった。ということは、準備の段階で自分にミスがあったのかもしれない。あるいは自分に勉強不足のところがあるのかもしれない」などと考えます。

『新版 科学がつきとめた「運のいい人」』(著:中野信子/サンマーク出版)

一方、自分は運が悪いと思っている人は、「自分はこんなに努力しているのに、運が悪かったから契約がとれなかったのだ」と考える。

運がいいと思っている人には努力の余地が生まれますが、運が悪いと思っている人にはその余地は生まれないのです。

運がいいと思っている人は、努力次第で次回の契約がとれる可能性が高まりますが、運が悪いと思っている人はそうはなりません。

あるいは、夫婦や恋人同士などの人間関係。

運がいいと思っている人は、「私は運がいいからこの人と一緒にいられるのだ」と考えます。ケンカをしたとしても、「自分に至らないところがあったのではないか」などと思える。

しかし運が悪いと思っている人は、「自分はこんなに努力をしているのに、相手はわかってくれない。こんな人を選んだ自分は運が悪い」などと考えてしまう。

運がいいと思っている人は、パートナーとの仲をいっそう深めるチャンスが生まれますが、運が悪いと思っている人には生まれない。それどころかますます不仲のほうへと舵(かじ)を切ってしまうのです。

実は、運がいいと思っている人も悪いと思っている人も、遭遇している事象は似ている場合が多いのです。しかしその事象に対するとらえ方、考え方が違う。対処の方法も違う。長い年月を積み重ねれば、おのずと結果は大きく変わってくるでしょう。

だからやはり、何の根拠もなくても「自分は運がいい」と決め込んでしまったほうがいいのです。