二人の出会い

後になって分かったことですが、資材を横流ししていたのは共同経営者のMでした。MとK伍長とは親戚同士で、裏でつながっていたのです。

陽の光を見たのは四十五日ぶりでした。自力で歩けないほど疲れ果てていました。大阪中央病院(大阪市北区)に約二か月間も入院しました。拷問による腹部の痛手は持病となって、のちに二度、腸閉塞を起こして開腹手術を受けなければならないほど尾を引きました。

井上元中将はその後も、百福の様子を大変気にしてくれました。そして、そろそろ身を固めたらどうかと、都ホテルのフロントにいた仁子を紹介してくれたのです。仁子を見そめたのは井上でした。井上はたびたび都ホテルに泊まることがあり、仁子の仕事ぶりや、やさしい対応が気に入っていたのです。

百福と仁子、二人の人生がめぐりめぐって、不思議な出会いにつながりました。仁子はこのご恩をよほど忘れがたかったらしく、「仁子の手帳」の最初のページに大きく「井上中将」とその名を書き記したのでした。

本稿は、『チキンラーメンの女房 実録安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。


チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)

NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?

幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。