交換
中館さんは血の気が引いた。
「あの……これは?」
彼は震え声で先生の家族に訊いた。
「ああ、それは故人が生前、女の子と交換日記をしていたようで、その交換日記です」
家族の一人、先生の息子と思われる中年男性が答えた。
「女の子と、ですか?」
「ええ、近所の子だと思うのですが……」
「いつ頃から始められたのでしょうか?」
中館さんは震え声を抑えながら尋ねた。
「それが不思議なことに、入院してからなんです。この日記帳がいつからあったのかは分からないのですが、恐らく元気な頃に買ったものがそのままになっていたのでしょう」
「入院してから……」
「身体が不自由になってからも、ずっとこの日記のことばかり気に掛けていました」
「最後は、この部屋で死ぬことを選んで退院したのですが、身体も不自由で日記どころか文字だって満足に書けなくなっても、寝たきりのまま、毎晩のように『交換……こうかん…………こ……うあ……ん……』ってずっと言っていたんですよ」
男性は少し苦笑いを浮かべながら続けた。
「もう、言葉も呂律が回らなくて、話すのもなかなかできなくなっていたのに、それでも必死に何かを伝えようとして……きっと交換日記のことだったんでしょうね」
彼の頭に、ある疑念が浮かんだ。次女の交換日記の相手は、もしかするとこの亡くなった先生だったのではないか。しかし、それを確かめる術もなく、仮にそうだったとして、それが一体何を意味するのかも分からない。通夜の場でこれ以上詳しく尋ねるのも憚られる。判断を下すには情報があまりにも足りなかった。
そんな話をしながら、形見分けが終わり、また葬儀に参りますと頭を下げ、通夜をあとにした。中館さんの胸には、もやもやとした思いだけが残った。
そして、葬儀が終わり、普通の日常に戻った。
だが、中館さんと妻は最近、次女がまたおかしいと感じていた。
それは、次女の部屋に千代紙細工がいつの間にか飾ってあって、日に日に増えていっていることだった。小さな鶴から始まって、花、動物、人形と、色とりどりの作品が棚の上に並んでいる。
次女に訊くと、千代紙細工を趣味で作りだした、という。
「急に興味が湧いたの」
次女は屈託のない笑顔で答えた。
中館さんは、変なこともあるものだ、と思っていたが、ある日、ふと「ある考え」に至ってしまった。
――こうかん…………こ……うあ……ん……。
あの先生の家族が言っていた故人の死ぬ前の言葉とは、「交換日記」のことではなく本当に交換のことではないか?
その交換とは、一体何を交換したのか?
中館さんの視線は、自然と次女に向かった。
それを考えながら、居間の大きなテーブルで千代紙細工を作る次女をじっと見つめる。次女の手つきは、まるで何十年もその作業を続けているかのように、慣れたものだった。
器用に紙を折り、丁寧に糊付けをする。その動作は、確かに中学生の手つきではなかった。
※本稿は、『錠前怪談』(竹書房)の一部を再編集したものです。
『錠前怪談』(著:正木信太郎/竹書房)
開けられなくなった場所や物をひらく職人、鍵師。
業界で「鍵の者」とも呼ばれる彼らが体験した不可思議で恐ろしい事件の数々を取材した怪事記。




