技術だけではなく精神を鍛えられた
私は原爆投下から3年後の広島に生まれました。母方の祖母と結婚前だった母は被爆しているので、私は被爆2世になります。祖母は爆心地の近くで被爆し、左半身に大やけどを負って、一時は命の危機に瀕していたそうです。
でも、その経験を「亡くなった人といっしょにお経まであげてもらったのに、今こうして生きているのよ」と話せる明るさと強さがありました。
祖母はやけどのために左手の指が癒着していて、病院で切開手術を受けたものの、親指しか動かなかった。でも、原爆のせいでこんな体になったと嘆くのではなく、親指が使えるから洗濯も裁縫もできるわよ、と常に前向きでした。
くよくよせず、できることに目を向けて、命に感謝して前に進むたくましさを、私は祖母の姿から学びました。
被爆2世であることが原因なのかはわかりませんが、私は幼い頃から体が弱く、両親はかかりつけの小児科の先生から「何か運動でもさせてみては」と言われていたそう。そんなとき、偶然にも幼稚園にバレエ教室が開かれたのです。まさにこれは運命の巡り合わせ。終戦後に引き揚げてきて、広島にバレエ研究所を開設された葉室(はむろ)潔先生の教室でした。
幼稚園で開催されていたピアノやお習字の教室にも通いましたが、続いたのはバレエだけ。すっかり夢中になって、道端でも踊っていたそうです。