ずいぶん陽が傾いている。海から風が吹いてきて肌寒いほどだ。大阪湾に沈む夕陽が見える。やがて噴水のショーがはじまった。俺は木綿子と手を繋いでショーを観た。裏側なので映像は観られないが、噴き上がる水の動きはよく見えた。

 ショーが終わると今度は夜景を見るためにリングを歩いた。

 どれだけ高くても、こんなふうに周囲に視界が広がっていたらすこしも怖くない。俺が怖いのは高さではなく、きっと窓なのだ。

 ライトアップされたパビリオンが輝きはじめる。暗闇に浮かび上がる建物は、下で見ていたときとは違って、ミュージアムショップで売っているお土産のようだった。

 遠くにアメリカ館とフランス館が見えた。

「もうすこしで指が届きそう……」

 木綿子が吸い寄せられるように手を伸ばした。無論、届くはずもない。

 暗闇の中、真っ直ぐ伸ばされた木綿子の手。フランス館の三色のまばゆい光に向かって伸ばされた指。

 一瞬、木綿子の指先が青白赤の三色の光に染まったように見えた。

 俺も光に向かって手を伸ばした。冷えた夜風が指先をかすめていく。まるでトンボでも止まりそうな肉が落ちて骨張った俺の腕。あと何年かで灰になる腕だ。

 ああ、本当だ。俺の指もあとすこしで届きそうだ。

 俺たちは二人で同じ光に向かって手を伸ばし続けた。

「ねえ、霧さん。私はこれまで美しいものには手を伸ばしても届くわけがない、と思ってた。でも、今、無意識に手を伸ばした。届くとか届かないとか考えず、ただ気がついたら手を伸ばしてたんです」

「……きっと届いてる」

 木綿子が驚いて俺の顔を見た。俺は言葉を続けた。

「今、思ったんだ。望みは……望むのを止めたときに手に入るのかもしれない」

 木綿子はまじまじと俺の顔を見て、黙ってうなずいた。

 どん、と音がして花火が上がった。どんどんどん、と連発で開く。

「……久しぶりだな」

「PLの花火大会、なくなってだいぶ経ちますね」

「ああ、花火も、野球部もなくなった。みんな、なくなっていく」

 雨彦も、晴彦(はるひこ)も俺の前からいなくなった。あの頃の俺を知っているのはもう誰もいない。

「でも、増えたものも……剣人くんや瀬良……優人くん」

 花火の音のせいで、木綿子の声が聞こえにくい。

「ああ。あいつらのおかげでずいぶん救われた」

「……私は……増えていない。……三十年前から同じ……送っている」

 途切れ途切れの声を懸命に拾って返事をする。

「でも、今年から俺が増えた」

「ええ。霧さんが増えた」

 花火に照らされた木綿子の顔が輝いて、俺はほっとする。

 連発で花火が上がってフィナーレだ。あちこちで拍手が響いた。

「……すみません、霧さん。花火の最中に喋ると聞こえにくかったでしょ?」

 木綿子が心配げな顔をする。俺の耳のことを気にしているようだ。

「いや、補聴器があるからなんとか」

 俺は右耳に手をやり、笑って見せる。だが、まだ木綿子は気遣わしげだ。

「いつから補聴器を使ってるんですか」

「もう二十年以上前から。右の耳が聞こえづらくて」

「そうなんですか。じゃあ、左の方から話すようにしますね」

 これでもう聞き漏らすことはない。心から安堵した。

 

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