10月25日に歌手として50周年を迎え、記念コンサートツアー中のさだまさしさん。今回はそんなさださんと、国際間のコーディネーターとして長年活躍し、現在は国際NGO 認定NPO法人 AAR Japan[難民を助ける会]の副会長を務める加藤タキさんの対談のようすをお届けします。加藤さんは、「『関白宣言』でまさし君が叩かれたとき、メディアを通じて母が吠えてた」と言っていて――。
『関白宣言』がきっかけに
まさし シヅエ先生と最初にお目にかかったのは1979年でしたね。
タキ 『関白宣言』のあとのコンサート。80年になってたかもしれない、新宿の東京厚生年金会館でした。
まさし 間に立ってくれた人がいて、その方にお願いしてご招待させていただいて。
タキ 『関白宣言』でまさし君が叩かれたとき、メディアを通じて母が吠えてたものだから。音楽評論家の安倍寧(やすし)さんが新聞に書いてくださって。「加藤シヅエがさだまさしを応援」とか。
まさし そうそう。応援してくれる人が少なかった頃ね。
タキ 当時、『関白宣言』は女性蔑視で許せないと女性団体が騒ぎを起こしたとき、母が声高にメディアを通じて訴えたの。みんな行間をどれだけ読んでるのかって。
まさし 行間読んでくれる人なんかいませんよ。僕は『関白宣言』は見事なエスプリだと思っていたんだよ(笑)。それを笑ってくれずに怒るっていうのでビックリしちゃって。
あのときには、そうね、笑ってくれたのは遠藤周作先生と森繁久彌さんと山本健吉先生くらいなもんだったね。「お前が言いたいのはここじゃないのはわかってる」という。あとは、行間をちゃんと理解してくださったのは加藤シヅエ先生以外ないね。
シヅエ先生が『関白宣言』のことをすごく庇ってくださってね。