兵庫県神戸市在住の関本雅子さん(71歳)は、緩和ケア・終末期医療で著名な医師である。長男の剛さん(44歳)も緩和ケア医の道を選んだことで雅子さんは勤務医生活に終止符を打ち、2001年、灘区にクリニックを開いた。軌道に乗り、院長職を剛さんに任せて「後方支援」に回った直後の19年夏。剛さんにステージ4のがんが見つかり「余命2年」と宣告された。それでも、コロナ下で往診を続ける決意とは (取材・文・撮影:粟野仁雄)
緩和ケア専門医に「振りかざす武器」はない
息子のそんな姿を見て、雅子さんはどう思っているのだろうか。
「クリニックの開業を考えた時、剛に打診してみたんです。開業するといっても大きなリスクがあります。投資額も大きいし、患者さんが来てくれるかもわからない。ところが同じ緩和ケアの医師として、剛が『やりたい』と背中を押してくれたことで決心できました。剛の強みは、私があまりやっていない抗がん剤治療の勉強をしてくれていることですね」
しかし緩和ケア専門医には、最新機器を用いた精査や治療、抗がん剤など「振りかざす武器」はないと剛さんは言う。
「私も消化器内科医時代は内視鏡の検査や治療、抗がん剤投与などの『武器』を振り回し、時間のある時に患者さんの話を聞いて、痛みに対しては医療用麻薬を使って、緩和ケアができているつもりでした。しかし緩和ケア病棟では、そうした武器を使えない患者さんばかり。患者さんの『人生の花道を飾る』には、真正面から向き合う覚悟はもちろんですが、膨大な専門的知識と哲学、人間力が必要であり、真摯に勉強し直さなければならないと思い知りました」