部屋の中央に立った母が、「鬼は外! 福は内!」と言いながら…(写真:stock.adobe.com)
時事問題から身のまわりのこと、『婦人公論』本誌記事への感想など、愛読者からのお手紙を紹介する「読者のひろば」。たくさんの記事が掲載される婦人公論のなかでも、人気の高いコーナーの一つです。今回ご紹介するのは兵庫県の60代の方からのお便り。小学生の頃、節分の日に母親が抱えて帰って来た大きな紙袋に入っていたのは――。

母の約束

子どもの頃、わが家は買い食い禁止だった。お菓子を食べたいと思ったら、母が仕事帰りに買ってくる、徳用ビスケットやクラッカーや割れおかきの大袋を待つしかない。それなりに美味しいのだが、同じものが続くので飽きてしまう。

私は、駄菓子屋さんで売っているサイコロキャラメルやラムネ、のしいかを食べたかったのだ。そこは、夏はかき氷、冬はおでんまで売っているめずらしいお店だった。買ったその場で食べている友だちが羨ましかったものだ。

昭和34年、父が交通事故で亡くなった時、2人の姉は6歳と4歳、私は2歳。母は生命保険の外交員として働き、女手一つで私たち三姉妹を育ててくれた。買い食い禁止は節約のためだったのだろうと、今ならわかる。

あれは私たちが小学生の時のこと。節分の日、母が大きな紙袋を持って帰ってきた。「今日はお豆の代わりにこれをまくからね」。そう言って差し出された袋を覗き込んだ私たちは歓声をあげた。なかにはキャンディやゼリービーンズ、チョコレートなど、駄菓子屋さんでも売っていないような高級なお菓子が一杯だったのだ!

「百貨店の地下にある、ぐるぐる回るお菓子売り場で買ったのよ。みんな、食べたかったでしょう」

そこで好きなお菓子を買うのが私たちの夢だった。母についてデパ地下へ行くたび、私たちはぐるぐる回る円形の陳列台に並んだお菓子に釘づけに。しかし毎回、母は言った。「また今度買ってあげる」。

母の約束が本当になった嬉しさといったらなかった。いつもなら寝る時間の午後9時に、「お菓子まき」は始まった。部屋の明かりを消し、部屋の中央に立った母が、「鬼は外! 福は内!」と言いながらお菓子をまく。私たちは闇のなか、夢中でお菓子を拾った。

明かりが点くと、残っていたお菓子の争奪戦だ。母はそんな三姉妹を、ニコニコ見守っていた。

平成8年12月15日、母は心筋梗塞で倒れ、2週間後に帰らぬ人に。69歳だった。苦しい生活のなか、私たち三姉妹にたくさんの楽しい想い出を作ってくれたお母ちゃん、本当にありがとう。


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