私には縄の思い出がある
その頃、由紀さんは大好きなSMをどうしていたのか。シャイな彼は、由紀さんがM女だということを知っていたのだろうか。
「一緒に住む前、彼と交際しながら、SMクラブには行ってました。SMのことなんか彼に言ったら、大変なことになっちゃいますよね。だから内緒。彼とデートする回数のほうが、SMクラブに行くより多少は多かったかな」
由紀さんは「多少」のところをすこしだけ強調して言った。SMのことに話が及ぶたび、由紀さんの細い目が輝きを増す。いったい、「縛って吊って」、どう「いじめられて」いたのか。
私が尋ねると、これまでのんびり口調で話していた由紀さんが急に流暢(りゅうちょう)に喋り出した。
「乳首を縄やタコ糸で縛ったり、針で刺すのもやりましたね。スリップ、キャミソールの高いヤツが何枚もダメになっちゃいました。しっかり縛ってもらうので、縄の跡とかついちゃいます。温かいおしぼりで、出てるところだけは温めれば消えるのは早いし、デパートで働くのは大丈夫。でも彼に会うのは、SMクラブに行った日と別の日にしてました」
その後、由紀さんは彼と同居をすることになる。仕事もやめた。完全に家に入ってしまったので、SMクラブに出かけるためには嘘をついて外出しなくてはならなくなる。
「純粋な彼を裏切るようなことになっては、彼に悪いから、同居したと同時に(SMクラブに)行くのをやめようって決心したんです。たぶん、彼も我慢してることがあるんだろうから、私も我慢しようと思って……」
そこまで由紀さんを夢中にさせたSMクラブである。本当に行きたくはならなかったのだろうか。
「なりましたよ、そりゃ。でも、やめようと思った以上、やめるしかなかったんです。私には縄の思い出がある……」
由紀さんは急に語気を強めて言ってから、照れ隠しのように息だけで笑った。
※本稿は、『大人処女ーー彼女たちの選択には理由がある』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。
『大人処女ーー彼女たちの選択には理由がある』(著:家田荘子/祥伝社新書)
30歳を過ぎて性経験がない女性、大人処女。彼女たちは、なぜそれを選択したのか。著者は、梓さんを含む9人に寄り添うように取材、すこしずつ聞き出していく。そこには、9者9様のドラマがあった。さまざまな価値観と生き方を伝えるノンフィクション。