関容子
せき・ようこ
エッセイスト
雑誌記者を経て、エッセイストに。1981年『日本の鶯――堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。『勘三郎伝説』『客席から見染めたひと』ほか著書多数。最新刊『銀座で逢ったひと』(小社刊)が好評発売中
インタビュー
篠田三郎「杉村春子先生には〈昔の恋人に似てる〉と役をいただき、奈良岡朋子さんには〈ただの二枚目じゃない〉と言われ」
篠田三郎関容子2024年01月23日
インタビュー
篠田三郎「『ウルトラマンタロウ』光太郎役へ起用されたその理由。市川雷蔵や勝新太郎と共演できたことは、大映時代の大きな財産」
篠田三郎関容子2024年01月23日
インタビュー
吉田玉男「師匠といた時間は父親よりも、誰よりも長かった。伝統芸能の中で世襲制でないのは唯一、文楽だけ。努力をちゃんと認めてもらって」
吉田玉男関容子2024年01月07日
インタビュー
吉田玉男「アルバイトのつもりで行った文楽人形遣いの世界に魅せられ、中学3年で入門。人間国宝の知らせに、興奮して朝方まで眠れず」
吉田玉男関容子2024年01月07日
インタビュー
人間国宝・中村歌六「歌舞伎役者としてのお稽古ごとの一環で、劇団四季の養成所に2年。歌やバレエのレッスンも。伝統文化門閥制の意味」
中村歌六関容子2023年11月20日
インタビュー
人間国宝・中村歌六「幼稚園には行かされず、いつも祖父の楽屋の鏡台脇に。病弱の父に代わり、大叔父十七代目勘三郎を師匠とし」
中村歌六関容子2023年11月20日
インタビュー
小日向文世さんが『徹子の部屋』に登場。30年の夫婦生活を語る「スキーでの骨折を機に、デザイン学校から写真学校、そして役者へ」
小日向文世関容子2023年11月08日
インタビュー
笹野高史「『武士の一分』で初めて大きい役をもらい、〈長いスパンで役を考えて〉と叱られ落ち込んで。公開後は多数の賞をもらって仕事の量も増え」
笹野高史関容子2023年10月16日
インタビュー
笹野高史「俳優になりたいと、ノウハウ本を読んでいたら『その顔で?』と兄に笑われて。日大の芸術サークルから、自由劇場の裏方、そして俳優に」
笹野高史関容子2023年10月16日
インタビュー
佐藤浩市「22歳の頃、相米慎二監督の何十回ものNGからのOKで、突飛なことをすればいいと勘違い、3、4年芝居で苦しんだ」
佐藤浩市関容子2023年09月18日
インタビュー
佐藤浩市「監督の言うことを素直に聞かない。感じたことはとりあえず口に出す。父・三國を勝手に見て解釈して、こんなひねくれた役者になった」
佐藤浩市関容子2023年09月18日
インタビュー
林与一「初代水谷八重子、美空ひばり、山本富士子、森光子、佐久間良子…次々と声がかかり、たくさんの大女優達の相手役をつとめ」
林与一関容子2023年09月06日
インタビュー
林与一「NHK大河『赤穂浪士』の堀田役で大人気に。主役の長谷川一夫さんからの『日本中の男優を敵に回したよ』の言葉は今でも勲章」
林与一関容子2023年09月06日
インタビュー
串田和美「まつもと市民芸術館芸術監督就任で考えた、1%の人のために税金で劇場を建てる意味。演劇は目の前のお客のためだけにやっているんじゃない」
串田和美関容子2023年07月24日
インタビュー
串田和美「芝居の原点は、疎開先で見た地歌舞伎。芝居はお客さんとの対話だから、劇場で黙って観るだけじゃなく、ゴザの上に座ってワイワイ観る芝居を」
串田和美関容子2023年07月24日
インタビュー
佐藤B作さんが『徹子の部屋』に妻と出演。夫婦仲を語る「早稲田大入学後、学生演劇へ。新入部員20人くらいの中からオーディションで役をもらい」
佐藤B作関容子2023年07月03日
インタビュー
佐藤B作「欽ちゃんの番組で一気にブレイク。地元に帰ると黒山の人だかりで、消防車をオープンカー代わりにして街を一周したことも」
佐藤B作関容子2023年06月26日
インタビュー
佐藤B作「福島から猛勉強して早稲田大へ。商社マンになるつもりが、2ヵ月で教科書を持つのも嫌になり。熱くなることをやりたいと、中退して演劇の道へ」
佐藤B作関容子2023年06月26日
インタビュー
小日向文世「自由劇場解散後は5年間鳴かず飛ばす。三谷幸喜と出会い、連ドラ、大河出演と快進撃。役者は、活かすも殺すも脚本次第」
小日向文世関容子2023年05月29日
インタビュー
小日向文世「スキーでの骨折を機に、デザイン学校から写真学校、そして役者へ。神様にお前の進む道はそっちじゃないよ、と言われたみたいに転倒して」
小日向文世関容子2023年05月29日