永遠の問い「美しさとは何か」

ちゃんみなが受けた誹謗中傷がサハラ砂漠なら、私が受けたそれはペットボトルのキャップ1杯分くらいだが、私も心無いコメントやDMで傷つくことがあった。自分をさらけ出すほど、表現するほど、必然的に人の目に触れることは増えて、その分心無いコメントも増える。

否定され続けると、どんどん自分を抑えるようになる。傷つくのがどうしようもなくこわい。どうやったら悪く言われないだろう、そう思って輪郭を削り続け、気が付いたら元の自分の形が思い出せなくなっている。悪いところを削ろうとした結果、自分らしさまでも削ってしまっていた、というオチである。皮肉なことに、みんなから受け入れられようとすると、誰にも刺さらないのだ。
表現者であり続けることは本当に簡単なことではない。

でも、ちゃんみなは10代から世の中の視線に晒され続け、酷い誹謗中傷を受け続けてきたにも関わらず、まったくちゃんみなが薄まっていない。むしろ尖り続けていて、全開だ。魂がおもむく方へ、感覚を研ぎ澄まし、本能に忠実に、能動的に。
まさに純度100%。
反骨心を表現に100%昇華しているのだ。

彼女のよどみなく、守りゼロの超前衛的な表現を見て頭を殴られたような衝撃を受け、忘れかけていた「表現することの価値」を思い出したのだった。

メディアで彼女はよく「若者に受けている」なんて紹介される。個人的に「若者」と聞くとティーンから23歳くらいのイメージで、26歳の自分はちょっとお呼びじゃないかな、と気が引けてしまうようなところがあった。
ところがどっこい、気が付いたらちゃんみなの曲を聞きまくり、寝る前の子守歌もちゃんみなで固定。どんな年代にもきっと刺さる曲ばかりなので、ぜひ一度聴いてみて欲しい。

美しさとは何か。これは永遠の問いである気がする。
ただ、ちゃんみなを見ていると、例えば「目が大きい」「細い」「手足が長い」とか、そんな一般的な条件は、たくさんある「美しさ」のほんの一部分でしかないと思える。(そもそもその基準さえどうかと思うが)

美しさとは、「自分に誇りを持っていること」「自分の美学を突き通している様」なのではないかと思うのであった。

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