内多さんは、『クローズアップ現代』の代行キャスターとして、番組終了後はヘトヘトになるほど全力で仕事をされていたとのこと。53歳での転機につながった出会いとは、何だったのでしょうか(写真提供:『53歳の新人 NHKアナウンサーだった僕の転職』より)
30年間NHKに勤め、「看板アナ」とも呼ばれた内多勝康さんは、53歳を前にして退職。医療的ケア児の短期入所施設「もみじの家」のハウスマネージャーに転職し、新人としてゼロからスタートする決断をしました。安定したキャリアを捨て、医療福祉の世界に飛び込むに至ったきっかけは、アナウンサー時代に担当した『クローズアップ現代』だったそう。ある内容を番組で扱ったことが、転身に強くかかわっているようで――。

内多さんは1986年にNHKに入社後、高松、大阪、東京と放送局を渡り、その後名古屋放送局へ配属となります。この時に、定年後に役立つだろうと、50歳で社会福祉の資格を取ったそうです。そして2012年、2度目の東京異動で大きな転機が訪れました。

2012年、念願の東京へ

名古屋局から念願かなって東京に異動した僕ですが、転勤する2カ月前から、東京のスタジオから放送している『クローズアップ現代』の代行キャスターを任せられました。メインキャスターの国谷裕子さんが海外出張などでスタジオを空ける時、代わりに番組を進行する役割です。

代行キャスターは東京アナウンス室に所属しているアナウンサーが担うのが通例でしたが、その時は、どういうわけか名古屋にいる僕にお声が掛かったわけです。代行キャスターは、名古屋時代の短期間、異動後の東京でも2年間継続して務めました。

1993年から放送されている『クローズアップ現代』は、毎回、その時々の旬のテーマを取り上げ、専門家や取材者の解説を交えながら現代社会の「今」に正面から向き合う、NHKを代表する番組の1つです。

僕は代行キャスターなので1年に数回の業務でしたが、最先端のテーマに切り込み、第一線のディレクターや記者と渡り合いながら30分の番組に全神経を集中させ発信するという、非常にエキサイティングな現場に関わることができました。

僕はこの仕事にとてもやりがいを感じていたし、番組終了後はヘトヘトになるほど全力で、活き活きと仕事ができていたと思います。

その『クローズアップ現代』では、後に僕が転職する大きなきっかけとなる、「医療的ケア児の支援」についての企画・提案も自ら行い、とても充実した日々でした。元々興味がある分野でしたし、取材経験によって、より障害福祉について興味と関心、そして問題意識も深まっていきました。

こうして、今後もアナウンサー業務を続けながら自分の発信したいテーマで番組を制作することができれば、やらなければならない「仕事」と生きることの喜びや人生の潤いにつながる「生きがい」が適度なバランスを保てる。定年まで、そんな風にやっていければいいな、と考えていました。

その現場が、必ずしも『クローズアップ現代』である必要はありません。幅広いテーマを扱う番組のキャスターを担えるなら、年に1回でもいいから自分が取材したテーマで提案を出し、放送を通じて社会問題を提起する。そんな可能性のある現場にいられれば、そこでやりがいをずっと感じることができる、そう思ってモチベーションを上げていました。