寄稿
右乳房全摘出を決めた1週間後、舞い降りた片羽が欠けてる美しい蝶。この出会いが前向きに生きる勇気を私にくれた
寄稿
33歳の春、乳がんに。3歳の娘に1人で「生きる力」となる料理を教えた。今年6歳、初めて1人で作った料理に涙が溢れた
エッセイ
障がいのある息子に手を焼き、楽になりたいと思った私が、直腸がん罹患で一転。術後の苦労はあるが、思い出の景色にもあいに行ける
寄稿
9歳の娘のがんが再発、治療へ。お友達と黒板で交わした「また学校に帰ってくる」約束。絶対に大丈夫、君は約束を守る子だから
寄稿
病と無縁だった私ががんに。病院食がお粥に移行しただけで感動。これからの人生、加点主義で生きたい
寄稿
がんと生きる。幻想的な陽光を写した一枚の絵。「光」は周りが暗くなければ見えてこない。がん治療という暗闇の先にも希望が待っていると信じて
寄稿
40歳でがんの診断。夫と5歳の息子の3人で過ごす時間に幸せを感じ、私が今一番大切なものは家族だ!と気づいた
寄稿
5年前の肺がん宣告。タバコを吸わないのに…とショックを受け、余命は長くないと覚悟。しかしその後治験に参加し絶望が希望へ…
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85歳の母が膵がんに。父の側に1日でも長くと思う母の車椅子を、89歳の父が押して歩く。2人で歩いてきた道、これからも
寄稿
コロナ期間中、会えなかった父が肺腺がんに。咳を隠し父が作った讃岐うどんを、これが最後かも…と拭う汗に涙を隠して食べた
寄稿
今年74歳、3度のがんを経験。死を覚悟した事もあった。今年の入院中、生きる力をもらった日の出を絵に描いた
寄稿
2月4日はワールドキャンサーデー。1人娘は5歳、38歳で乳がんが発覚。抗がん剤治療に苦しみ髪を失ったが、新しい産毛に「再生した私」を感じた
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2月4日はワールドキャンサーデー。31歳で乳がんを発症、乳房を失う。「なぜ私が」と思ったけれど、東日本大震災で運命と受け入れた
寄稿
乳がん手術と抗がん剤治療…夫の食事が心配だった。夫が必死で覚えてくれたカレーで、辛い治療も乗り越えた
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31歳で乳がんを発症、乳房を失う。「なぜ私が」と思ったけれど、東日本大震災で運命と受け入れた
寄稿
義理の息子が再生不良性貧血で緊急入院。乳飲み子を抱えた娘を「大丈夫」と、ハグすることしかできなかった
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胃癌の手術後、息が吸えず、あまりの苦しさに「酸素をください」と叫んだ。看護師さんの言葉で楽になり…
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息子が2歳の時に悪性リンパ腫を発症。コロナ禍の入院は面会もできず…。入院中に息子はとてもたくましく成長していた
寄稿
7時間半のがん手術のあとに出会ったコスモス。私もただただ生命いっぱい咲いていたい...
寄稿
がんの宣告を受けた父に、最初で最後と我儘を言った。「バージンロードを歩いてほしい」1分も満たない時間だが、十分だった